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August 28, 2004

今、古代が新しい

仙台のタウン情報
仙台市太白区内において古代の遺跡が発掘されてきております。
国道286号線と名取川が交差する附近の山田上ノ台町では、今から約4千年前(紀元前2千年)縄文時代中期とみられる集落が発掘され、竪穴式住居跡38ヶ所をはじめ生活の跡が多数発見されました。

また、長町駅東側一帯広瀬川河畔までに位置する郡山遺跡は、古代の陸奥国の国府である「多賀城」よりさらに古い、7世紀中頃から7世紀の末にかけて造られ、古代陸奥国の建国にかかわった重要な役所跡と考えられています。
郡山遺跡は太白区郡山二丁目から六丁目を中心に全体の広がりは南北600m以上、東西は300m程あり、内部には官舎や倉が規則的に立ち並び、塀で区画され、広さはおよそ760万平方メートルに及び、これまでの調査によって1300年ほど前(飛鳥時代〜奈良時代)に、大規模な役所が2回にわたって造られたことや、東北地方では最古の伽藍、講堂、金堂、塔などをもった寺院(郡山廃寺)のあることなどがわかってきました。内部には大きな建物や石組池、石組溝、石敷などがある中枢部分(政庁)があり、政務や儀式を行なっていたと考えられます。国府「多賀城」が創建される8世紀初めにはその役割を終え、陸奥国衙の役割は多賀城へと移されていったと考えられています。
最近の調査では方四町二期官衙の南に規模の大きな廂ひさし付建物が配置されていることが明らかになりました。これは方四町二期官衙だけでなく、その外側にも広範囲に官衙が広がっていることを示しており、7世紀末の地方官衙のあり方を考える上で重要な発見となりました。また、二期官衙の外側におよそ50mの幅の広場状の空間が存在しており、平城京以前に造営された藤原京の構造と類似していることがわかってきました。

わが国では8世紀初期に著された古事記や日本書紀以前の文字の記録が無く7世紀の天皇記に付いての伝説がわずかにあるだけですが、漢字と言う借り物の文字が現れる遥か以前にこれだけの歴史があったという事は・・・謎はますます深まると共にこれからが興味深いですね。

郡山遺跡展 ――発掘25周年――
期日 : 11月2日(火)〜11月14日(日)
会場 : 仙台市博物館1Fギャラリー

山田上ノ台広場
オープン予定 平成18年度


投稿者 RyuSUMIYA : August 28, 2004 02:49 PM

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