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■ 堤町の歴史 |
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堤町は仙台城下北辺の警固のため配置された足軽衆の町で、その後、足軽の内職としてはじまった堤焼や堤人形により焼き物の町として知られるようになりました。 |
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町名は、町の南に流れる梅田川を堰止めた大きな堤があったことに由来します。 |
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奥州街道沿いの堤町は仙台城下の北の玄関口として栄え、江戸時代には御仲下改所(おすあいどころ)が置かれ、城下に持ち込まれる商品から関税を徴収しておりました。 |
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□ 作業風景 (昭和44年頃)
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大正から昭和の初めには堤焼きを焼いている窯元が15軒ほどありました。 |
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佐大商店は大正7年に現当主佐藤達雄さんの祖父「大八さん」が創業し、そのとき6連の本焼窯(1回素焼きにして釉薬をかけてから空気を遮断して高温で焼く窯)を造りました。堤焼の火が消えた今、堤焼の歴史を物語る最後の遺構となっています。平成13年6月にNPOの協力により登り窯と旧作業所にギャラリーがオープンしました。 |
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□ 6連の本焼き窯
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□ 堤人形の絵付け風景
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□ ギャラリー内部
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(C)2002 INCREMENT P CORP.
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